【直面した怪奇現象】 現代のものづくりは、次から次へと新しい機能や電子制御を付け足す「足し算の迷宮」に陥っている。エンジニアたちは「もっと便利に、もっと多機能に」と画面に向かうが、その結果、製品はどんどん複雑になり、重くなり、本質から遠ざかっていく。 なぜ、私は巨大な大企業を飛び出し、あえて今、「自転車」という極めてシンプルなモビリティで世界に挑むのか。それは、引き算の果てにある「究極の姿」に迫りたいからだ。
【凡百のエリートの迷宮】 「あれもできる、これもできる」と機能を盛り込むことこそが技術の進歩だと信じ込み、製品をパーツと配線でデブにさせていく。物理的な限界やエネルギーのロスを、ギミック(誤魔化し)で覆い隠そうとする。
【マクガイバー住職の思考の筋道】
- 達人たちの哲学: 「エンジン博士」と呼ばれている畑村耕一氏は、エンジンを誰よりも愛しながらも、哲学として、「エンジンはないほうが良い」と言う。そして、機械バカである私の哲学もまた、『究極は、機械のない機械』である。実際には達成困難な、矛盾を含んだ目標だ。しかし、この「究極の引き算」を目指すことこそが、ものづくりの本質なのだ。
- お父様が遺した、トランシーバーの記憶: この哲学の原点は、子供の頃、他界した父との会話にある。当時、私は学研のトランシーバーに夢中だったが、長い時間通話もしていないのに、背面の乾電池がすぐに切れてしまう。不満を漏らす私に、電池交換をしながら父は言った。 「見てごらん、このトランシーバー、半分以上が電池なんだ。それだけ、電波を遠くへ飛ばすのにはエネルギーが必要なんだよ」 。トランスミッター(送信機)とレシーバー(受信機)を一体化させ、小型で便利にした発明品(トランシーバー)。しかしその中身の半分以上は、重く不都合な「電池」という物理法則の現実そのものだった。父は私に、人間がどんなに便利な発明をしようとも、物理法則にだけは絶対に抗えないのだと、その時、教えてくれたのだ。
- スマートフォンの真実: 現代の人類の英知が詰まった「スマートフォン」を分解してごらん。最先端のAIチップやカメラの横で、筐体の大きな体積を占有しているのは、やはり「四角い大きな電池」だ。半世紀前のトランシーバーと、現代のスマホ。人間の知恵は進んでも、物理の等価交換(エネルギーの法則)は1ミリも変わっていない。
【授けた最後の一手】 だから、私は今、自転車を作る。エンジン(動力)をあえて持たない、人間の肉体エネルギーを、最も美しく高効率に変換する「小、軽、快」の引き算のモビリティ。余計な機能を極限まで削ぎ落とし、摩擦すらそぎ落としたその先に、「機械のない機械」という究極の快感は存在すると信じて。
【結末】 物理法則は、絶対に嘘をつかない。トランシーバーやスマホの体積の半分を占める電池の重さは、つまり物理現象という、逃げる事の出来ない法則の重さその物だ。その重さを知る者だけが、世界を驚かせる本物の「引き算の美学」に到達できるのだ。


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